能が光り出した


観世流シテ方 九世 橋岡久太郎氏 スピーチに学ぶ

本メモは私個人の感想で、必ずしも講話の記録ではないので、間違いもあり多分に主観的であることをあらかじめ承知おき頂きたい。

能は、西洋演劇の祖シェークスピア生誕を200年ほど遡る、西暦1400年頃に、天才「世阿弥父子」によって整理・統合・完成された「舞台芸能」(日本版オペラ/仮面劇)である。現在演じられる曲目は230番ほどであるが、もともと2000から3000番もあった曲目から選りすぐられ残ったものらしい。

能の特色は、きわめてシンプルな三間四方の舞台と登退出のための廊下(袖)からなり、磨き上げた檜が使われている。観客は舞台正面と両側面から舞台を見上げるようになっており、ハヤシや演者の声や床を踏む音がよく聞こえるよう音響効果に配慮された作りになっている。舞台には大道具、小道具もないではないが極力単純化されたものが置かれるに過ぎず、西洋のオペラのように本物の象まで登場させるのとは大違いである。

舞台には主役たるシテ方の他に脇役、ツレ、地謡(バックコーラス)、囃し方(笛方・小鼓方・大鼓方・大太鼓方)、アイ狂言、後見が登場し演目を演じる。
地謡はシテ方の心理描写や情景描写を担当するほか演者との掛け合いなどを行い、全体の進行をつかさどる。囃し方の道具で笛のみが施律楽器であるが打楽器てき用途が主である。謡の言葉は、室町時代の言葉使いで五七調が基調である。

能の演目は、物事が現在進行中であるかのごとく演じる「現在能」と、死者の視点で見る「夢幻能」に大別される。演目に登場するのは、神・武者物・女性・鬼・華やかなものなどである。世阿弥が生きた時代もそれに至る時代も戦乱が続いたことから、死は卑近なものであり、「夢幻能」などにはそれらの時代背景が投影されている。能の演目は源氏物語、源平の戦いなど平安・鎌倉・室町と続く三時代の情景が取り上げられている。

演じ手は明治以降女性も見られるようになったが、それ以前は男性で、仮面劇であることもあって老若男女から鬼や亡霊なども仮面の付け替えで演じてきた。
橋岡氏の好意で、かつて豊臣秀吉が所有し愛でた「般若面」と、女性美の極致といわれる「女面」を見せて頂き、実際に面をつけたときの視野感を味わうことが出来た。
視野の狭さに驚いたが、国宝級のこれらのものを、日常的に実際の道具として使われていることに驚かされた。

さて、世阿弥とその弟子が完成させていった「能」は、室町時代の外国(唐)の影響を受けた豪華で派手な「バサラ」と、平安時代以来の「公家」の美意識を代表する「雅」の相克の中で生まれてきた、「風雅」とか「わび・さび」の由来と無縁ではないと感じる。バサラの代表格は足利義満が立てた「金閣」で、風雅とわび・さびの代表は足利義政の「東山山荘」である。茶道や華道などにも同様の対比の様式が見られる。

天下人になった秀吉や他の大名に好まれ、徳川時代になると武士のたしなみといわれるほどになった「能」や「茶道」は、室町時代の天皇を中心とする公家の文化の流れを引き継いだもののようだ。武家階級は公家の文化に変わりうる文化を持ち合わせておらず、治世の正当性と権威を維持するために積極的にそれを利用した側面もある。
秀吉が催した大茶会は派手で大掛かりなもので、茶道に見る「バサラ」的なものであり、千利休を支援し完成させた「詫び茶」はその対極にあるような気がする。

能と歌舞伎にもわび・さびと風雅とバサラの対比が見られる。歌舞伎の発生は、能に比べかなり遅く江戸時代の初期で、「出雲の阿国(お国)」という巫女が男装をして踊ったことが始めといわれているが、歌舞伎の語源は「バサラ」に替わって呼ばれた「かぶく(傾く)」につながっている気がする。これは推量に過ぎないがいつか調べてみたいものである。

削りに削って、無駄な動きを徹底して排した「能」。 演じる人の表情(感情)を隠す面。面の角度や動きで作り出す陰影、装飾も目を見張るものは一切成し。謡と囃しと掛け合いで粛々と進められる能から受ける印象は、全ての所作が計算しつくされたかのごとき高い完成度である。自然を被写体とするプロの写真家が一瞬の瞬間を待ちに待って、山際を翳めた斜光が作り出す陰影を伴う被写体に向かってシャッターを切るような、能のゆったりとした所作の中の一瞬一瞬の計算された完成度だ。

橋岡氏の言にそれを感じる。若いころは自分の感情表現をもう少し押し出す能を試みたが、間違いだった。能は集団芸術で、一人が狂うと全体が瓦壊してしまう。
はるか昔に完成された「型」を、再現し持続するための鍛錬が欠かせないとのことだ。観世流の流れを継承する9代目に当たる橋岡氏の思いは「変えるべからず」と言う家訓を引き継ぐことのようだ。

リハーサルの必要性に関する質問に対し、一回で十分との答えであった。それがいつもとは違ったメンバーであっても同じようである。それだけ個々の分野の専門性と完成度が高いという事のようである。
おもしろい事にカラヤンや小澤政治と言った指揮者と奏者が、それぞれの音楽世界を実現するのに、二日4回のセッションで十分と言った事と共通の答えで、ステージに上がるプロの備えていなければならない技量を示唆しているようだ。

橋岡氏によると、謡の特色の一つは、だれでも唱和できるということを言われていた。今まで全く気がつかなかったが、緩やかな抑揚はあるが語り言葉に近い事もその理由かと思った。その話を聞いた時瞬間、ある昔日の光景を思い出した。夏の開け放した座敷に、祖父と父と長姉が正座して、良く謡を唱和していたものだ。奇妙にハーモナイズしていて、心地よく聞こえたが、あれから半世紀もたってその理由に気がついた次第である。

世襲制度については、必ずしも実子の男子が継がなくてはならないということは無いが、代々受け継がれた装束や能面は大変貴重なもので、それらをそろえるということは経済的には大変困難で、結果世襲の形が一般化しているとのことであった。

最後に、能の魅力の一つとして、イマジネーションを掻き立てる事も挙げていた。
ハリーポッターの映画を見、本を読んだ子供たちは、本の方が面白かったという感想を寄せているらしい。たしかに、コンピューターグラフィックをフル活用したSF映画は、見て刺激もありおもしろいが、すぐに記憶から消えてしまうが、本を読んで頭の中に描く情景はすぐには消えない。イマジネーションの素晴らしさを感じた。
海外公演で外国の人々が大いに感激するのも、与えられた情報の中で、最大限のイマジネーションを働かせて演目を理解することがあるからと理解した。

「能」が、がぜん光を放ちだした。

 

 

この記事は2016年5月2日に書かれたものです。

ファインティング 断食道場


伊豆の伊東での特別休暇(断食)は、素晴らしいものになった。幾つかのファインディングがあったが、食に対する無意識の執着の強さには我ながら驚いた。自覚、無自覚を合わせると意識の三~四割を占めているのではないかと気付かされた。朝昼夜に加え、あれやこれを食べたいというと際限がない。結果飽食の日々を送ってしまう。今回の機会はリセットの機会となるような気がする。併せて施術された気功、ヨガ、マッサージは、永年気付かなかった身体中のコリとその為の鬱血を気付かせ、解消してくれた。これまでも幾たびも休暇をとったがこれほどリラックスしたことはなかった。加えて、美しい海岸や山間部のビオトーブやダムを巡るウオーキングは素晴らしかった。来週からの新しいスタートが興味深い。最後に素晴らしい友人にも巡り会えた。

 

 

 

この記事は5月2日に書かれたものです。

 

アースクエイク


一度は住みたかった憧れの熊本が、直下型地震で被災し苦しんでいる。友人の声からたび重なる余震で疲労困憊の様子が伺われる。もう45年も前になるが九州を日本のシリコンアイランドにしようとの、国をあげての努力で半導体メーカの主たるプレイヤーは大規模生産ラインを展開している。今回の震災で甚大な被害が出たのではと懸念される。東北であれ関西であれ越後であれ、今回の地震は日本に震災から逃れる安全の地が無いことを再認識させた。熊本や湯布院、別府、大分と被害の拡大に心は痛むが、かっての美しい故郷を取り戻すためにあらゆる連帯が必要だ。

 

 

この記事は2016年5月2日に書かれたものです。

散歩 裕子と尚子


朝の散歩が日課となって久しい。それでも、我儘な性格で同じ道を歩きたくない。したがって新しい道を、しかも人ができるだけ歩いていない道を探す。そんな一つがこれだ。しかも可愛い名前がついて居る。「裕子」に「尚子」。銀座のお姉さんではない!日本中の男を「ふがいない!めざめよ!」といってくれたスーパーアスリート。時々印旛沼の縁の道路を1時間ほど歩くが、その間人に会うことはほとんどない。時々変人ぽいバイカーに会うぐらいだ。したがってこの道路は「裕子・尚子・哲夫」ロードである。どうやら独占欲も強いと自覚する。そうはいっても気にかかることがある。裕子と尚子には、男の影があった。なんかひげずらの親父で「小出」とか言っていたな。変人なバイカーに髭面親父、いやな奴らだなーと一瞬思ったところで「ケーン」と甲高い声で雉が鳴いた。

実は裕子は有森裕子、尚子は高橋尚子 両名ともオリンピックのメダリスト。このロードには他のメダリスト、野口みずきの名はついていない。裕子が銅と銀、尚子は金、野口は金なのにだ。
それは髭ずらおやじの小出監督とも関係があるらしい。佐倉市在住で、裕子と尚子の監督であったせいだろう。

 

 

 

この記事は2016年5月2日に書かれたものです。

ドライバーのいないシルバーリムジン


落合場所には懐かしい顔がそろっている。携帯が鳴って迎えの車が5分後に到着と告げる。5年ぶりの Reunion 皆嬉しそう。時間ぴったりにシルバーの10人乗りリムジンが現れ扉が開く。着座して間もなく前方スクリーンに銀髪の紳士が現れ、目的地、道順、所要時間の説明がなされる。備え付けのクーラーにはシャンペン。リムジンは高速に入りレインボウブリッジから夜景を見ながら東に向かう。スムーズな運びは今夜のパーティの盛り上がりを予感させる。「ん・・・あれ!ドライバーがいないではないか」「岩崎君 俺の街では病院の往復はドライバーなしの送迎が当たり前だよ」その時、幹事役が「この車は今日のレストランがオファーするサービスなんだ」「ふーん、世の中便利になったもんだ」
スクリーンに突然今回参加できなかった仲間の顔が現れる。翔ちゃんに憲ちゃん。「行きたいな~」思い出話に花が咲く。
いやいや懐かしい。車は高速を降りる。スクリーンにはまた銀髪の紳士が現れ、5分ほどでレストランに到着するとのこと。
車はゆるゆると、森に囲まれたレストランの玄関に停まり扉を開けて待つマネージャーの迎えを受ける。「なんと、息子のレストランではないか!!」

今朝見た夢の断片を紡ぎ合わせるとこんなストーリーでした。
時々かような夢を見ております。現実の束縛からか、昼間脳は退化し「ボ~」としておりますが、夜に自由を得た脳は「時空を超えて」少し進化しているようです。
すっかり目覚めましたのでこれからしばらく「ボ~」の時間が始まります。

 

 

 

この記事は2016年3月27日に書かれたものです。