本州横断 フォッサマグナの起点を訪ねる


友人を訪ねる4泊5日の、

金谷(千葉)~蓼科(長野)~糸魚川(新潟)の本州横断旅行

 

Day -1: うぐいすが鳴きかわす高原レストランで

ブランチ ドライブの緊張が解けていく Late afternoon

ギャラリーオーナー夫妻と久しぶりの「守破離談義」

標高1800mは脳にも良いか?

話が弾む ディナーは1000m下ったお気に入りの「ガムラスタン」

ストックホルムのアクアビッツが晩餐の始まり

 

Day-2:早朝蓼科を発ち郷里を目指す。

いつもそうだが、近づくにつれ昔の思い出が次々浮かび上がる。

半世紀も前に故郷を出たのに、

すっかり風景が変わったのに、

必ず訪れる場所が東西10キロぐらいに点在する。

川や森や海岸に神社など数十か所。

犬のマーキングではカッコ悪いので、

ライオンがテリトリーを見回るのに似ているのだと思う

理由はないがいつもそうしている。

将来のことはわからないが来れる間はそうするに違いない。

 

Day3:鶏がなく前に海に出る。

狙うは「のどぐろ」釣果はすばらしい!

FBにアップするのは最後に止めた。

釣り師が殺到しかねないので。

というより「ケチな性格は治らない」。

午後友人のH夫妻を迎える。

H氏はオートバイの「Kawasaki」を世界ブランドにした人、

BMWを難しい日本市場で成功させた人、

自動車の殿堂入りを数年前に果たした人、

そして何より「愛国の士」でもある。

未来を語る眼光は鋭い

山海の珍味 文句なしに美味い

Outstanding!

でも、会話はいつでも「真剣勝負」

 

Day4:イトヨ(糸魚)が地名の糸魚川

北アルプスの山塊を源流とする美しい、

しかしかっては暴れ川だった河川がいくつも日本海に注ぎ込む糸魚川。

H夫妻の俄かガイドを買って出る。

実家から15分ほどの天下の険「親知らず(子知らず)」視察

北アルプスの山塊が日本海に沈む崖の足元、

かっての旅人は波の寄せ引きの間隙をぬってわたっていった。

どちらかが波にさらわれても助ける術がなかったことから

「親知らず」と呼ばれるようになった。

80メートルのがけに沿った長い下り階段。

かって勾玉は中国産と思われていたが、

どっこい、わが故郷から硬玉の原料「翡翠」やその加工場が見つかるに至る。

縄文人の遺跡はあちらにもこちらにもあるらしい。

最後は活火山「焼山」の麓の笹倉温泉で「いいゆだな~」

 

Day-5:懐かしい関東 でも暑い

 

 

 

高層が街の主


新宿副都心 住友三角ビル51F 久々に友人と夕食 。

変わっていないなあの時と 。

 

34歳の時念願叶ってこのビルのお隣「第一生命ビル」24Fにオフィスを構えた。

当時も今日と同じ風景を毎日見ていた。

 

東京の少なくとも半分の人、

600万人が暮らすエリアが眼下に広がっていた。

 

いい会社に育て上げようという決意をしたことや、

苦境に陥った時勇気をもらった記憶がある。

 

おとなりの都庁舎の主が変わった。

ニュースキャスターから政治の世界に身を転じ

上り詰めて知事のいすに座った。

ただ手放しで喜んでなんかいられない。

 

浮気な庶民の選択が、

また変わらないとも限らないいし

公約の実現に諸事多難。
彼女もこの先毎日執務室から同様の風景を見るに違いない。

どんな感慨を抱くか知る由もないが、

何よりも自分の良心に恥じない「いい仕事」をしてほしい。

 

 

 

能登 福浦湊 朝鮮通信使の足跡


 

「私は朝鮮通信使(国使)の子孫です」。

 

16年も前にサムスンの社外重役の一人が唐突に話してくれたことが、

どこかに引っ掛かっていた。

 

能登旅行の起点金沢への帰路、

朝鮮(正確には渤海)からの

国使の足跡に触れるチャンスが巡ってきた。

半島西側のほぼ中央「福浦港」がその地である。

海食による崖と岩礁地帯に二つの湾口を持つ良港である。

ただ、陸側には消費地(港町)を形成する耕作可能な平地は限られていて、

小さな漁港という風情である。

 

この地が初めて日本史(新日本紀)に登場するのが772年(宝亀3年/飛鳥時代)で、

帰国を急ぐ渤海使節団が時化で遭難したさいに生存者が保護された場所(福良津)としてである。

さらにそれから111年後の883年(元慶7年/平安時代)には

渤海国使の帰国船舶の造船・修理の地(福良泊)としてまた名を刻む。

中でも「泊」は律令制下の官港を呼び、

この「泊」の付く港は北陸道で唯一「福良泊」であった。

 

渤海国は230年間に国使を13から15回、渤海使を34回派遣したようで、

その間の日本側の寄港地として、ここ「福良津(福浦)」が利用されたようだ。

私の友人の先祖「朝鮮通信使」は徳川幕府が、

鎖国令の中で再開した「通信使」ではないかとおもう。

この地に再び賑わいが戻るのは、「北前船」の登場である。

1690年に93軒の戸数が1861年の151年間に194軒と増加している。

時代の大きなうねりのなかで、

思いっきりそれに付き合ってきた福浦の人々の逞しさに少なからず感動した。

 

人のいない岸壁にたたずむと、北前船の全盛期にタイムスリップして、

福浦芸者の三味線に合わせて歌ったという船乗りの歌「もじり袖」が聞こえるような気がしてくる。

 

 

 

えさか、えさかさんと 乗り出す船は 今朝も二艘出た 三艘出たぞ。

今朝も二艘出た 三艘出たぞ。福浦もじりを船頭衆に着せて けさの船出に また惚れた。

けさの船出に また惚れた。

 

 

 

この記事は2016年7月3日に書かれたものです。

 

 

 

キリコ(暴れ)祭り


 

祭りの季節到来

能登宇出津のキリコ(暴れ)祭り

町内のあちこちから 奉燈(キリコ)を担ぐ若者たちの囃子声が沸き上がり

ゆるゆると近づいてくる。

打ちあがる花火が主役登場を告げる。

広場の大松明に火がつけられる。

燃え盛る炎にもあおられ 待ち受ける人々の意気も上がる。

 

広場の入り口に姿を現すキリコ。

賑やかに笛・鐘・太鼓に合わせて掛け声が上がる。

先導する娘さんの跳ねるような動作がいい。

次々と新しいキリコが広場に入ってくる。

総数40基ほどと聞く 一基500Kgは下らないキリコを担ぐ若者たち

降りしきる火の粉の下をぐるぐる回る。

滴る汗が美しい。

 

広場は興奮のるつぼ

見物人も担ぎ手も混然一体

夏の夜の大松明の火の粉の下をぐるぐるぐるぐる。

鳴門の渦潮のように

 

最後のキリコが広場を出るのは12時ぐらいと聞く。

明日は暴れ神輿

この勇壮なお祭りが末永く続くことを祈る。

 

 

この記事は2016年7月13日に書かれたものです。

 

 

 

所詮「Dust」、されど「Dust」


 

Part-I:

誕生日だからということではないんですが、

最近とみに強くなってきている、ある言葉へのこだわりについてお話しします。

 

実は「Dust(ほこり)」なんです。

 

齢を重ね少しだけ「Dust」に近づいてきたせい かもしれません。

私たちは母から生まれてきたために、はじまりの「Dust」を意識しませんがずっと前は「Dust 」だったんです。

その前さらにさかのぼると地球すら「Dust」だったんです。

物の最小単位や宇宙の広さ、生命の起源など、

今も世界中の研究者が取り組んでいますが、それらは「Dust」についての研究ともいえるものです。
誕生祝いの「獺祭」二合で夕べ得た結論は、私は「所詮は Dust,されどDust」でした。

もう少し違う形で言うならば、

私は「所詮は宇宙の一部、されど宇宙そのもの」、

 

ついでに酔いのついでで言ちゃえば、

私は「神様の一部でもあるが、神様そのものでもある」ということでした。

霊験あらたか、論理的整合性ができる前に獺祭の杜氏の技の前に、

昏睡状態になりました。

 

結論は万物の創造主である「Dust」を共有する自分に

「誇り」そして「自覚」と「感謝」が必要ということでした。

 

Part-II:

Dustが気になり出したのは、

今から20年も前の私の提案書のサブタイトルに関する議論からでした。

提案は事業モデルの変換で、

製品を売りきりにする「メーカー型モデル」から、

納品してその製品寿命が終焉するまでの生涯サポートする

「メーカー+サービス型モデル」で、

私がつけたサブタイトルは、

「 from the cradle to the grave」でした。

 

それに対しユダヤ人の友人は

「 dust to dust」のほうがアピールするというものでした。

私の提案でははじまりがCradle(ゆりかご)で終わりがGrave【お墓】ですから、

Dust(埃)で始まりDustで終わる時間軸で考えると比較にならないぐらいの短かさでしたが、

ビジネスとしては妥当なものだったと思います。

 

ただ、Dust で始まりDustで終わる(もしくは戻る)という友人(たまたまユダヤ人)の概念は、

ビジネスというより死生観という点で新鮮で心に残るものでした。

そんな議論の10年ほど前に、

その友人と何度かエルサレムを訪れました。

丘の上に燦然と輝くモスクの足元の

ウェーリングウオール(嘆きの壁)のすぐ横を掘り進んでいるトンネルに案内された時、

この丘陵都市が何度も新たな征服者によって破壊と建設が繰り返されたことを知りました。

何しろ掘り進むトンネルの断面は、

何層にもわたる破壊の跡が見て取れるからです。

人間の業の深さを感じずにはいられませんでした。

どんな栄華も時の流れの中で朽ち果て、最後にはDust になっていく。

 

一歩エルサレムを出ると土獏が連なる丘陵地帯が続きます。

まさに「Dust」の海とでも呼べる荒涼たる灼熱の世界です。

 

 

この記事は2016年7月27日に書かれたものです。