グラミ―賞受賞に見る「運」


奇遇な縁で、

音楽の世界で「グラミー賞受賞」を目指している人、

受賞した人両方にお会いすることができた。

 

一番初めはYMOの「坂本龍一」氏だ。

広尾の小さな懐石料理屋の小部屋で二時間ほどいろんなことを話した。

グラミー受賞(1989年)の数年あとだったと記憶しているが、

想像していたミュージシャンのそれとは違う落ち着きと不思議なオーラがあった。

彼は半導体素子とソフトの塊であるPC の技術の進化に興味があって、

盛んに質問を投げかけてきた。

 

大型コンピューターからPCへのダウンサイジング始まるPC 時代の幕開けのタイミングでもあった。

坂本氏は語らなかったが、

音楽領域へのPCによって可能となる最先端技術の取り込みを考えていることがよく分かった。

 
次いで4年ほど前になるが、

お会いしたのがロスから活動拠点を日本に移した「サウンドエンジニア」ご夫妻だ。

 

もともと「音を作ったり加工」する仕事は、

設備産業ともとれるほどの設備投資とプロフェッショナル(職人/アーティスト)が要求される領域でもあり、

その道で世界の一流を目指すのには環境の整った米国で経験を積むのが順当な選択枝でもあった。

然しこの世界にも技術革新の波が押し寄せ大型の機器は次々と、

進化したPCにとってかわった。

この技術進化は、ご夫婦の活動拠点の移動を可能にした。

米国で培った経験と実績は、リターンももたらした。

事実驚くほど多くの有名なアーティストの編曲を手掛けている。

 

ご夫妻の夢は「グラミー受賞」である。

私にも彼らがグラミー受賞の有資格者だということはわかる。

ただPCを駆使すればできるという技術革新がもたらした「コモディティ化」は、

彼らの手からグラミーを引き離しているように見える。

彼らは「グラミー」を諦めてはいない。

遠のくグラミーを追ってオランダに拠点を移す。

 

音のエンジニアリングから光や映像まで含む総合エンジニアリングで

先行するヨーロッパで勝負しようとしているようだ。

 

 
昨夜、2014年にグラミー賞受賞したサックスフォン奏者佐藤洋祐氏をお招きし

お話と演奏を聴く機会があった。

演奏も歌も素晴らしかった。

夏の宵に相応しい時間だった。

 

面白いことに、同氏にとってグラミーはいろんな恩恵を得たものの「バイプロダクト(副産物)」であって、

JAZZの道にのめりこんできた動機ではなかったというコメントである。

有名なボーカル(グレゴリー・ポーター)率いるバンドの一人として受賞した故の感想に違いない。

魂触れる自分のバンドを持ち高みを目指したいという

熱い想いが言外にあふれていた。

 

今度は自分のバンドでグラミーを狙っていると私はかってに解釈した。

三人のアーティストから学ぶことは「運」の大切さである。

中でも人の出会いとその際の身の処し方が、その後の人生に

大きく影響するということである。

マリアージュ アユと獺祭


北アルプスの渓谷を源流とする故郷糸魚川の河川は美しい。

この季節川筋には釣人がアユを求めて入る。

子供のころ父に連れられてよくこの川に来た。

父は投網、子供たちは浅瀬にアユを追い込んで素手で捕まえた。

アユはキュウリの匂いがした。

このフレッシュな香りはどこからくるのか父に尋ねると、

川底の石の表面のミズゴケだとのこと。

よく見ていると、

石には幾筋ものアユが泳ぎながらミズゴケをこそぎ取った跡が無数についていた。

 

シェフはアユを皿に上げた。

カリカリの頭と骨は、海に下り急流を遡上してきた野生をうかがわせる。

ミズゴケの内臓は清流の主であったことを主張する苦いソースとなり、

銀色の身は野菜の香りを伴い首座につく。

ワインでよしお酒でよし、最高のマリアージュをひそかに楽しむ夜がたまにあっていいものだ。

なんだか川のせせらぎが聞こえてくるようだ。

人は見える風景(世界)以上の絵は描けない


「人は見える風景(世界)以上の絵は描けない」
ここ数十年の私の結論である。

小さい風景の人の絵は小さく大きい風景の人の絵は大きい。

 

大小何方が良いということではないが、

大きいほうが選択肢が多いような気がする。

頭の中で形成される風景は、

見たり想像したりする刺激を受けて生まれてくるが、

好奇心や意識して視野を広げるという努力とも関係している。

最近の懸念は若い人の描く絵が総じて小さいことである。

国外にまたがる描きはほぼ見られない。

市場も経営資源も競争もシームレス環境になった今でもだ。

若者よ「村を出よ」といい続けてきた。

 

ジャンクフード化し子供番組化したTV、

村の出来事にしか言及しないマスメディア、

老人が支配する経済界、へっぴり腰の外交、

Confort(快適)や癒しなどと群れたがる人。

これでは大きな絵は描けないか。

 

最近、友人の一人から、

孫さんはなぜARMを買収したのかとの直球の質問が来た。

「大きな絵」に関係するので質問への回答の一部を紹介したい。

 

1:(孫さんは)ARMを傘下に入れることで

未来社会を正確に予測し実現していく「ドライバーズシート」に座ることができると考えた。

電子機器に搭載されるプロセッサーの

設計情報をほぼ独占的に提供してきたARMには、

世界中の多様なユーザー(ハードウェア・ミドルウェア・ソフトウェア)から

最先端情報があつまるので、

Io T時代の進化をリアルタイムで知ることができかかわることができる。

 

2:ARM買収に投じた資金の回収は ARM単独でも十分可能に思われるが、

ソフトバンクグループ全体に与えるARMの情報価値と、

それをそれぞれが活かすことを考慮すると、

時価総額を10年で10倍はリーゾナブル

 

3:ARMのビジネスモデルは成熟しつつある。

創業から26年で築き上げた成果で、

今後もマーケットの拡大から遅れることはないが、

バンクが企業価値を10年で10倍にすると言うゴールを達成する牽引役を果たすには、

今の成熟モデルだけに依存しない新たなモデルの追求が必要。

それがARMの内でなくてもいいと思うが。

 
4:孫さんに期待したいことは、

シンギュラリティ以降の社会や生き方がどうなっていくのか、

どうすべきかということに積極的に関与してほしいということだ。

新しいドライバーズシートに座る者の役割の一つだからだ。

 

 

この記事は2016年8月31日に書かれたものです。