弱者の兵法

著者(編集者):野村克也
出版社:アスペクト

  • 中心なき組織は機能しない
    中心的役割を担う人の意識や言動は、組織内のほかの人間に大きな影響を与える。中心選手は単に技術的に優れているだけではなく、人格や日頃の行いにおいて他の選手の模範とならなければいけない。「野村はエースや4番に厳しい」というのは、私が彼らに鑑となることをもとめているから。野球に対し真摯に向かい合い、練習中はもちろん、私生活においてもしっかりと自分を律し、真剣に取り組んでいる姿。
  • 仕事に全身全霊を捧げるのが真のプロフェッショナルである
    プロ野球のプロとは、高い技量?憧れの対象?無論それもプロの一面だが、あくまで出発点でしかない。真のプロとは「取り組み方」いかにその仕事に全身全霊、全知全能をささげて取り組むことができるか。勝つことが非常に大事であるが、勝負の結果より大切なものがある。人生である、野球は生きるための手段でしかない、もっと大きな目標とは生きることである。人間は何のために生まれ、生きているのか?「世のため、人のため」である。人間は仕事を通じて成長し、成長した人間が仕事を通じて「世のため、人のため」に報いていく。それが人性であり、すなわちこの世に生を受ける意味。野球を仕事と選択した者は、レクリエーション感覚で野球に取り組んではならない。
  • 高校野球がどうしてあんなに人気がある
    高校生のプレーはプロに比べれば劣る、技術やパワーでは比較にならない。にもかかわらず甲子園球場を満員にし、日本中を熱狂させる。その理由である。「一生懸命」なのである。人間がもっとも美しく見えるとき、ひたむきに、一生懸命なにかに打ち込んでいるとき、その姿に人々は胸を打たれ、感動を覚える。だから高校野球に魅せられる。プロであるならなおさらである、高校生以上に、一生懸命プレーし、高い技術を披露して人々を感動させなければならない。そのために、だらしのない格好、髪型、いい気持ちで取り組む姿を見せては申し訳ないと思うものだ。
  • プロではない
    イチローといえば、非の打ち所のない技術、文句のつけようのない実績、その意味ではプロであろう。ただ、彼はデビューしたころから「いい格好しよう」という意識がそこかしこにあった。特に、あの髭がいただけない、ひげや茶髪は自己顕示欲の現れである。名門ニューヨークヤンキースではひげは禁止である。メジャーリーグでも強いチームほど細かい規則がある。ひげや長髪は禁止、帽子はきちんとかぶり、Tシャツでの練習もダメ、遠征先でのアルコール摂取はヒール一杯まで、、、身だしなみ、挨拶、イチローはあれだけのスーパースターなのだから、野球人としてはもちろん、人間として模範になってほしいと思う。
  • 楽しむには2つあるFUNとENJOY
    仕事を楽しんでいうが、楽しみ方には2つある。「FUN」とは、趣味に代表されるとおり、これでは趣味の野球、草野球である。「Enjoy」は持てる力のすべてを出し切る、である。野球だけしか考えなくて良い状況に身を置き、没頭する出来る。自ら選んでこの業界に入ったのだから、こんな幸せなことはない、いくら思い通りの結果がでなくてもそれは「苦労」ではなく「Enjoy」である。
  • この監督についてきたいと思わせる人望
    監督に限らず、人望はリーダーに必須の条件。たんに野球に関する深い知識やすばらしい理論を持っているだけでは充分とはいえない、やはり「その監督が野球人である前に人間として尊敬できるかである」「信頼に足る人物か」「自分達に対し愛情を注いでくれているか」といったことが問われるのである。
  • 好き嫌いではなく、総合的に人事に臨む
    好き嫌いで選手を起用するのは最低の監督である。とメジャーリーグにのこる名言。監督の判断ひとつで、選択ひとつ、選手の将来は大きく変わる。「自分の基準にあわないから」という理由で、まして「気に食わないから」ちいうだけでプロとして失格の烙印を押してはならない。
  • 地位が人を作る
    プロ野球の監督にしても、政治家にしても、はじめから風格のある人間などいない。その地位になって、理想を追い求め、日々考え、努力していく中で、自然と風格が身についてくる。実際、監督になるとすべてが一変する。人の目、言葉遣い、交際する人たちなど身の回りの環境が極端に変わる「環境が人を育てる」ということを実感する。
  • 判断は頭で決断は腹で
    ピッチャー交代などの場面、ブルペン、以降の打者、、様々な情報を集め、頭で判断する。そして「覚悟」を決めて決断をするのだが、その時、しらずと腹に力を込めるような感じになる。決断は腹でするものである。
  • 体力・気力、知力
    体力と気力の限界にぶち当たるときが来る。残るは知力を使うしかないと、野村ID野球はそうして構築されていった。素質に知力をプラスできるかが、プロとしてやっているかどうかの分かれ目となる。人との差を認め、それを克服すべく頭を切り替え、実践していく。野球で言うと体力と気力は高校野球、知力を取り入れて初めてプロ野球となる。
  • 人を遺すことが指導者の最大の条件
    財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする。と中国のことわざにある。名監督と監督の違いはどれだけの人材を育てたかということ、なお「人材を育てる」という意味は、たんに選手として一人前にするということだけではなく、その前に、人間として一流にしたかどうかが大切なことである。
  • 打線
    1人1人のバッターを点とし、一人ひとりのつながりがないのを打順という。失敗の確立の方が高い野球というスポーツではつながりのない連続は恐れるに足らず、しかしつながりとは相手が思うことで、そう思わせたとき始めて打線という。「こいつを塁に出すと4番につながる」「次の打者は小技がうまいから、何かしかけてくるかも」、と守る側が意識し始めたときすでに守る側にプレッシャーを与えている。
  • 人間的成長なくして、技術的成長なし
    個性とは、自分勝手な行動をとったり、自分中心で物事を考えたりすることではない。他人の承認があってはじめて輝くものであり、世のため人のために役立ってこそ活きてくる個人の特性のことを示すのだとおもっている。プロの選手として働ける時間は短い、人性ではそれ以外のほうがよっぽど長い、だから人間教育に力を入れた。とりわけ「感謝の心」を忘れないこと。この親への感謝から始まる、「感じる力」、親がいなければ自分は存在しない。親を大切にしない選手が一流になれるわけがないし、そこに気がつかない人間に「感性を磨け」といっても無駄である。つまり、野球人である前に、一人の人間としてまっとうな生き方をしなければ、技術的成長もありえない。
  • 進むときは上を向き、暮らすときは下を向く
    おのれの力を過信した時点で成長は止まる。それ以上の努力も思考も厭うようになるからだ。謙虚な心と感謝の気持ちを忘れなければ、満足することなどありえない。また、ふだんは下を見て過ごせば、自分よりも貧しくつらい目に遭っている人、苦境にあえいでいる人も沢山いる。改めて自分がいかに幸せかということに気付く。当然、感謝する心もうまれるし、他人に対して優しく出来るものである。
  • 人間の最大の罪は鈍感である
    年齢、経験に関わらず、一流の選手はみな修正能力にすぐれている。同じ失敗は繰り返さない。二度、三度失敗を繰り返すものは二流、三流。四度、五度繰り返すものはしょせんプロ失格である。なぜなら、そういう選手は失敗を失敗として自覚できないか、もしくは失敗の原因を究明する力がないからだ。鈍感は最大の罪とはそのことをさす。「小事は、大事を生む」という。些細なことに気付くことが変化を生み、その変化が大きな進捗を招くのである。
  • やさしくするだけが愛情ではない
    ほめたり、優しくしたりするだけが愛情ではない。ましてや機嫌をとったり、おだてたりすることは絶対に愛情ではない。たとえ煙たがられようとも、時には怒らせようとも、必要なときには毅然とした態度で叱り、苦言を呈することも、指導には必要なのである。「この子をきちんと育てたい、立派な選手にしてやりたい」そう思うからこそ、叱るのであり、厳しく接するのだ。その気持ちが無ければ、誰が好き好んでそんな言動をとるものか。

戦艦大和のエピソードより
少尉が、あるとき自分に対し敬礼をしない水兵そのままにした。それを見ていた大尉が「そんなときは鉄拳制裁あるのみだ」と少尉を叱り飛ばした。なぜなら、戦場では指揮官は心を鬼にして冷酷非情な命令を部下に下さなければならないときがある。その際、日頃から少尉のように甘い接し方をしていれば、兵士はこう思う。「あの人はいい人だから、そんな命令を出すはずがない」そして、「甘やかされて育った少尉の兵と、厳しい規律で鍛えたおれの兵、どっちが強いか比べてみようか」と大尉はいった。

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