モウリーニョのリーダー論

著者(編集者):ルイス・ローレンス
出版社:実業之日本社

リーダーと言うものは、誰がなるにせよ、完全に未来に目を向けて集中しなくてはならない、一時的な感情にとらわれてはならない、周囲が見えていない将来を見通し、そこにたどり着くまでの道筋を立て、導いていくのである。
「常識を御大の語る言葉に疑うことなく受け入れるか、あるいは自ら道を切り開いていくか」、「僧侶と猫の話」。モウリーニョの仕事には、理由の無いものは無い。彼のチーム選手であることは、単に練習に参加し、試合でプレーをするだけでは駄目だ。休憩時間や休養日であれ、家でも、何らかの行事でも、それぞれがチームを代表する顔であることに変わりはない。根底に、いかなる状況でもプロフェッショナルでなければならないという鉄則がある。
フットボールにおいて、選手の「速さ」「遅さ」とは単なる首より下の体の動きだけでは測れない。それらは複雑で、首の下の動きだけではなく、「首の上」の機能を考える必要がある。モウリーニョが率いるチームには、知性が足りない選手は必要ないと断言する。きちんと一般社会の動きを理解し、適応できる人間だけが、プロのフットボール選手の最低限の条件と考えている。
「チームに規律をもたらすために必要なのは、時間厳守や正確さを浸透させ、戦術を厳正に定めることだ。この原則は、世界どこでも通用する。」
「世界のどこを見回しても、情熱抜きで達成された偉業など何一つない」かのピーター・ドラッカーでさえ「情熱なくして出来た偉業はない」といいきる。ただ何気なく日々を過ごすのではなく、未来を見据え、考え、作り上げていくことに大きな情熱や愛情が必要である。その歩む道のりを心から受け入れ、楽しむことが出来れば、さらに行く先は明るくなり、野心も膨らんでくる。情熱を燃やすこと、夢見ること、楽しむこと、その積み重ねによって自分や周囲のために未来を膨らませることができる。
「監督は、フットボールとともに呼吸をし、食べ、眠る人。常に頭の中にフットボールが占めている。フットボールが第一で、かつことは二の次である。よくいっていましたが、「さあ、プレータイムだ。もしベストを尽して結果負けたならば、それはそれでいいんだ。心穏やかに美味しい晩飯がたべれる」とね。もし我々が試合中にすべてを出し切らなかったら、人生において何も達成できなかったでしょう。」
「モウリーニョ監督は、選手達を率いるタイプの指導者ではない。監督は、自らの哲学を受け入れる準備をしている選手を選ぶ。ここで重要なことは、その選手達が必ずしも世界最高の技術を持つ選手である必要はない、ということ」
リーダーとは、これがすべてではないがその一部を上げてみたい。?野心的なビジョンを示し、明言する、?個人でリスクを負える、?自らの傲慢を抑制する、?コミュニケーション能力に長けている、?新しい環境に順応できる。さらにリーダーシップについての原則の一部を揚げると?湧き上がるモチベーション、?理想化された影響力、?個々への配慮、?知的刺激。
最後に「勝利への文化」。勝利に執着する、二位などビリの一番に過ぎない。モウリーニョがランパードに対して「お前は世界最高の選手だ」と告げたときに、「だが、それを認めさせるにはトロフィーを獲得する必要がある」と付け加えた。
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